インタビュー企画 ピックアップ がんばる人間工学家
第5回
石橋 基範さん
マツダ株式会社
第5回にご登場いただく「がんばる人間工学家!」は、「Zoom-Zoom」でおなじみの、マツダ株式会社でご活躍の石橋基範さんです。エントランスホールに歴代のマツダ車が並ぶ、マツダR&Dセンター横浜を訪ねてお話を伺いました。
お仕事の概要
- 八木:
- 普段のお仕事について教えてください。
- 石橋:
-
石橋 基範
(いしばし もとのり)
プロフィール
インタビュー当時、マツダ株式会社 技術研究所 主幹研究員。
現在、同社 車両開発本部 車両実研部 クラフトマンシップ開発グループ 主幹。博士(工学)、認定人間工学専門家。自動車コクピットのヒューマンインタフェースの技術開発で、人間特性の面から要件提案や評価等に従事。技術研究所という部門で、車のヒューマンインタフェースの研究をしています。車のコクピットの中のディスプレイに表示される文字の見やすさ、内容の分かりやすさ、スイッチ類の使いやすさといった、人間側の認知、行動の面からの研究です。 - 八木:
- 具体的にいうとどんなことですか?
- 石橋:
- 最近までやっていたのは、運転支援システムの研究です。運転支援システムというのは、たとえば右折待ちをしているときに対向車線の車の陰に別の車がいることを知らせるような、ドライバーの認知や負担軽減をサポートするシステムです。今では運転支援も含めてインパネ回り全般について、インターフェイスの良し悪しや、有効性、危険が起きるときの人的要因などの研究をしています。フィールドでの調査も多いです。たとえば、安全システムが作動して注意喚起情報が出たときにちゃんとドライバーが減速するかどうかを、実際の道路で運転中に調べていました。フィールド調査では、評価したい現象の他にもドライバーがブレーキを踏む要因はたくさんありますので、一つ一つビデオを見ながら、使えないデータを排除していく作業が必要になります。それからやっと本当に知りたいデータの分析です。とても大変で泥臭い作業です。
- 八木:
- シミュレータとかは使われないのですか?
- 石橋:
- シミュレータでは、シミュレータでしか出来ない実験をやります。使い分けています。たとえば居眠りを誘発するような実験は公道ではできませんからシミュレータが必要です。ヒューマンインタフェースのアイデアを試作して評価するときもシミュレータの方が手軽です。でもシミュレータでは現実の道路のようなリアリティは出ません。だから大変でも公道での実験が必要になります。そういう泥臭いことを厭わずにすることが大事だと思っています。うちのメンバーはみんな根気があって打たれ強いですよ(笑)。
- 八木:
- なるほど。簡単にわかることは、誰にでもわかること、ということもできますものね。
人の内面に着目して反応を理解する
- 八木:
- 過去のお仕事の事例で、ご自身で印象深いものをひとつ教えてください。
- 石橋:
- 「運転スタイルチェックシート」と「運転負担感受性チェックシート」というものを作りました。性格検査のようなものです。運転行動には年齢とか視力とか運転のキャリアとか、いろいろな要素が影響するのですが、その中のひとつに内面の特性があります。たとえば運転が好きでアクティブにガンガン運転される方と、実は運転はイヤでしぶしぶ、という方では、道路交通環境の条件は同じでも行動に違いが出ます。こういった違いは単なる年齢や運転キャリアで区切ったのではわかりません。人の内面の特性によってある程度セグメントを分けて、その特性に応じた行動なり心理なりを理解することが必要だろうと考えたのです。心理学では以前から知られていた考え方ですが、これを工学の世界にもってきて応用することで、データの整理がしやすくなるし、運転行動の個人差の解釈が楽になります。簡単なシートですが、案外、運転行動と相関があって、作ったほうもびっくりしたくらいです。
- 八木:
- そのシートは公表されていますか?
- 石橋:
- チェックシートの開発は国のプロジェクト(人間行動適合型生活環境創出システム技術 )で行いましたので公開されていて、自動車業界ではすでに使われています(人間生活工学研究センター より無償配布)。考え方のフレームや具体的な研究は学位論文にまとめました。
図 1 ドライバ反応理解に向けた枠組み
(出展 石橋基範 : 自動車運転者の個人特性評価に基づく
反応理解手法に関する研究, 2009)
- 八木:
- どうして内面の特性に注目されたのですか。
- 石橋:
- 居眠り運転防止の研究をしていたときに、空調とか振動とかで、眠りにくい条件が作れるのではないかと考えて、環境条件をいろいろ変えて実験をしました。ところが何やってもなかなか一貫した結論がでなくて、個人差が大きい。分散分析を行っても、個人差が有意と出る。そんな時、当時お世話になっていた生命工学工業技術研究所(現在は独立行政法人産業技術総合研究所) の故吉田倫幸先生が「アイゼンクという心理学者が人の心理傾向である「内向性/外向性」というものと覚醒水準との関係を指摘しているよ」と教えてくださったのです。それで性格心理学を少し勉強して、ためしに「内向性/外向性」という特性で2群に分けてもう一度データを整理してみると、今度はきれいな傾向が出たのです。「内向性」群はあまり環境の影響を受けないが、「外向性」群は受けやすい。エラーバー(標準偏差)が大きいのは、違う群が一緒になっていることに起因していたのだ、ということがわかったのです。
- 八木:
- 「個人差が大きくて条件の影響は良くわかりませんでした」で終わってしまうことも多いと思うのですが。そこであきらめなかったのですね。
- 石橋:
- 「失敗は成功のもと」といいますか、うまく行かなかったからこそ、新しい展開が見つかったといえますね。
- 八木:
- なんだか勇気が湧くお話ですね。
歴史を知る、仕組みを知る
- 八木:
- 人間工学の勉強はいつごろからされたのですか?
- 石橋:
- 機械科の出身なので、人間工学の勉強を始めたのは会社に入ってからです。学生の時はロボットのセンサ信号処理の研究をしていました。会社に入って研究職を希望しまして、その時、研究所の中でされていた研究分野の中で、人間工学をやりたいと言って希望しました。当時社内では感性工学といっていましたが、未知なる人間、最後のブラックボックスである人間の探求をしていくところが面白そうだと思いました。
- 八木:
- マツダさんでは当時から感性工学の研究をされていたのですか?
- 石橋:
- 既にやっていました。車を作るために人間のことを調べるというのが当時は斬新だなと思いました。
- 八木:
- これから人間工学の勉強をされる方や、すでに仕事で人間工学に取り組み始めた方に、アドバイスがあればお願いします。
- 石橋:
- 研究の歴史を勉強されることをお奨めします。研究の流れや歴史を知ることでだんだんと全体がつかめてきて、色々な視点があることや、個別の研究間のつながりが見えてきます。それに、古くからある知見は物事をシンプルに説明するのにとても役に立ちます。たとえば「ビジランスの30分効果(Mackworth (1948)など)」という知見があります。これは工場の製品検査ラインでの不良品検出力などの研究から出てきた古い知見で、人の集中力や注意力は30分しかもたない、というものですが、今でも運転中の注意力低下の研究に十分活かせるものです。
- 八木:
- 石橋さんご自身は、どうやって歴史の勉強をされたのですか?
- 石橋:
- それはやはり論文です(*注1)。自分が読んだ論文のレファレンスをみて、そのまたレファレンスをみて、とやっているうちに、源流の研究に辿り着きます。すると、今では大御所といわれる先生が若いころに書かれた論文に行き当たったりするわけですが、研究の歴史や流れを知るだけでなく、専用の高度な計測器がない頃にどうやって計測したのか、どんな実験デザインの工夫をしたのか、そういった見方から学べることがたくさんありますよ。
- 八木:
- なるほど。
- 石橋:
- あとは便利な道具やソフトを使うときも、仕組みのことを理解する、ということでしょうか。数式まで理解しなくても、まずはイメージだけでもよいので。でないと、間違った結果を導いてしまう危険もありますよね。統計解析はその最たる例だと思います。
- 八木:
- 私も肝に銘じておきます!
今後の取り組み
- 八木:
- 最後に、今後の展望や取り組みたいことなどを教えてください。
- 石橋:
- まず人の心理についての研究は車作りでますます重要になると思っていますので、今後も続けて行きたいです。運転支援システムで言うと、今後トピックになりそうなのは、依存や過信の問題です。
- 八木:
- 依存というのは、よくいう「ナビに慣れたら、ナビがないと運転できなくなった」というようなことですか?でも私のような運転が苦手な人にとっては生活を豊かにしてくれる便利な道具です。依存といえば依存ですが・・・難しい問題ですね。
- 石橋:
- 楽にする部分と能力低下を補うことの両方が必要なのかもしれません。
- 八木:
- 過信とは?
- 石橋:
- 本来持っている性能以上のことを期待するような問題です。このシステムさえあれば安心だと思ってしまうとか。例えばタケコプターでどこへでもいけるというのは過信かもしれません。本当はかなり遠くへ行くためにはどこでもドアが必要なのに、タケコプターで行けると思ってしまう。
- 八木:
- 確かにそう思っていました。タケコプターで海を渡るのはしんどそうですね・・・。
- 石橋:
- そのシステムなり製品なりの、可能性と限界をきちんと理解して使ってもらうことを考える必要があると思います。そしてもっと将来的には、人の心理や内面という意味では、価値観や生活特性に基づいた車の設計論を作りたいですね。
- 八木:
- 設計論ですか?
- 石橋:
- 車に限らずいろいろな製品がコモディティ化(製品等が普及・一般化して、製品間の違いが小さくなること) したりネットワーク化したりする中で、製品単体ではなく、生活の中での使い方の部分を含めた研究開発が重要になると思っています。車も単に運転、移動するだけのものではなくなりつつあります。近隣のお奨めSHOP情報をネットワーク経由で車の中で見られるような、テレマティクス(車などの移動体に通信で情報やサービスを提供すること)という技術はすでに実用化され普及しつつあります。今後はより多くの車が社会全体の情報ネットワークの中に組み込まれていきますし、スマートグリッド(通信や制御機能を備えた次世代電力網)といわれる電力ネットワークにも組み込まれていくでしょう。すると、車の中にいるときの使い勝手だけでなく、社会や生活の中で車をどのように使ってもらうか、それによってどんな価値を提供していくか、考える必要が出てきます。こうなると、使い手の価値観や生活スタイル全体を理解していないと、生活での価値を車で提供していくための仕様や要件の設定が出来なくなってくるのではないでしょうか。みなそういったことが必要だとは思っているかもしれませんが、まだうまい方法論が見えてない。そういうものを作りたいと思います。今はまだ野望という段階ですが。
- 八木:
- その設計論ができたら他の分野にも応用できそうですね。期待してます!
- インタビューア:八木佳子(やぎよしこ)
- 株式会社イトーキ
ソリューシリョン開発統括部 Ecoソリューション企画推進部 Ud&Eco研究開発室 室長。
認定人間工学専門家。
人と人を取り巻く環境に関する調査研究と、研究に基づくソリューション開発に従事。
*注1:人間工学会ではJ-STAGE(科学技術振興機構)の電子ジャーナル公開システムを利用し、雑誌「人間工学」の初号vol.1(1965年)からすべての論文を無料で検索・閲覧できるサービスを提供しています。
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