会報・人間工学専門家認定機構 Vol.61
Vol.61 2019年11月1日
会報・人間工学専門家認定機構編集委員会
- 目次
- 専門家からの報告
研究の目的に拘りすぎて冒険してしまった話 - 専門家からの報告
香りを用いた認知症の早期検出の試み - 専門家からの報告
地方私大における人間工学関連研究の実践と学生教育 - 専門家からの報告
一人ひとりの使いやすさに向けて - 報告
CPEJ検討ワーキンググループの設置について - 専門家の新規登録(50 音順、敬称略)
専門家からの報告
研究の目的に拘りすぎて冒険してしまった話
中川千鶴(鉄道総合技術研究所)
私は鉄道の振動乗り心地を数値化する研究を10年近くやってきました。研究のきっかけは、国鉄時代から使われてきた従来の評価法が、30Hz以上の振動成分が増える超高速鉄道では体感と合わないことがある、という担当技術者の声でした。
人間工学研究室への要望は、「超高速鉄道用の乗り心地評価法の開発」でした。一見妥当なこの要望、しかし、用途別に評価法が必要ではきりがありません。私は立ち止まり、考えました。この物差しが測ろうとしているのは何だろう?実は車両振動の違いではなく「ヒトの感覚」ではないのか。それなら、人間の振動感覚を正確に表現できれば共通で使える評価法になるはず。
従来法は国際規格に準拠したものでしたが、私は、振動台を使って周波数ごとに振動に対する体感評価の実験を始めました。研究を進める上で、他にも2つ拘りました。それは、「鉄道に乗っている状態での振動感覚を推定すること」と、改善や対策に活用できるように「誰でも測れる実用的な評価法にすること」です。このため、あえて複雑な振動系である鉄道用座席を用い、加速度測定点は床面1箇所に限定する制約を課しました。
この結果、様々な要因が絡み合う、研究として美しさに欠ける実験を数年がかりで積み上げることになりました。すでにISO2631で振動感度曲線が定義されているのに、あえて振動感度を調べ直す意義があるのか、座席種別の影響が排除できるのか、論理的に考えるほど不安も募りましたが、鉄道旅客の乗り心地を数値で表現したい、人間の感覚を技術者に伝えることが自分の役割だと思って踏ん張りました。幸い、座席種別の影響は少なく、なんとか評価法が提案でき、鉄道以外にバスで試しても主観評価と0.8以上の相関がでています。しかし、「誰でも測れる実用的な評価法」には道半ば、ゴールかと思うとその先に道(未知)がある研究の奥深さを、日々痛感しています。
振動体感実験の様子
(車内振動騒音評価シミュレータ)
【参考】
鉄道分野の振動乗り心地評価研究とその活用
バイオメカニズム学会誌41(1), 2017, バイオメカニズム学会
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sobim/41/1/41_15/_pdf/-char/ja
執筆者自己紹介
中川千鶴:慶應義塾大学大学院生体医工学研究科修了、工学博士。(公財)鉄道総合技術研究所人間工学研究室所属、振動乗り心地評価、生理指標による動揺病検出や運転士状態推定研究に従事。
趣味:子供が子供らしく過ごせる遊び環境などの拡充に向けた活動。
専門家からの報告
香りを用いた認知症の早期検出の試み
鈴木桂輔(香川大学)
認知症の診断に広く利用されている検査の一つとして、問診式によるものがあります。国内の認知症の検査では、HDS-R(Hasegawa Dementia Scale-Revised:改訂長谷川式簡易知能評価スケール)やMMSE(Mini Mental State Examination)といったアンケートが広く用いられています。これらの検査から得られる点数の評価によって認知症の重症度を予測することが可能です。しかし、自身の名前や日付、場所など、健常な人であれば誰もが答えられる内容を尋ねるため、患者自身の自尊心を傷つけてしまい継続して検査を受診してくれない可能性があることが懸念されています。
認知症の多くを占めているアルツハイマー型認知症とレビー小体型認知症は、初期症状に嗅覚刺激に対する機能の衰えが確認されています。嗅覚機能の衰えから認知症を容易に検査できる手法が確立された場合、半数以上の認知症患者を早期に発見できる可能性があります。また、芳香を用いた検査は、認知症をスクリーニングするための方法とは思われにくいため、検査に対する患者の抵抗感を軽減できると言えます。
私たちの研究チームでは、嗅覚機能の衰えに着目し、心身に与える負担が少ない認知症のスクリーニング手法注)を例示してきました。その方法は、7種類の香りを嗅ぎ、選択肢の中から嗅いだ香りに該当するものを選択することで得られた成績から、認知症の発症の有無をスクリーニングする手法です。この手法は、検査に要する時間が短い点や認知症の検査とは思われにくい点、また、不快感や嫌悪感を与える香りを使用しない点から、対象者が検査に感じる心身への負担を軽減できると考えられます。この手法を提案するにあたり、7種類の香りを選定し、約100名の認知症を患う方と健常な方を対象に、健常高齢者と軽度認知障害者、中等度以上の認知症高齢者の3群で嗅覚課題の正答数の比較を行いました。その結果、症状の悪化に伴い、正答数の有意な減少が確認され、症状のレベルを概ね分割することができる閾値を例示してきました。また、嗅覚課題における正答数の有意な低下は、加齢による影響ではなく、認知症の重症度によって香りに対する認知能力が衰えたことを確認しています。
この手法は、100名程度の認知症を患う方と健常な方を対象とした調査結果に基づくものであるため、より検証データを増やすことにより、香りを用いた認知症のスクリーニング手法の妥当性を検証していく予定です。軽度認知障害のレベルを含むより早期の段階でのスクリーニングが可能となればと思っています。
症状と嗅覚課題の回答数との関係
香りスティックと回答用パネル
注)参考文献
小林宙,鈴木桂輔,唐木将行,田中素美;芳香を用いた認知症のスクリーニング方法-第2報-,ライフサポート学会論文集,Vol.29,No.3, pp.81-87, 2017年9月
執筆者自己紹介
鈴木桂輔:1996年成蹊大学大学院工学研究科博士後期課程修了後、日本自動車研究所(JARI)にて、各種運転支援装置の効果推定およびユーザビリティ評価に従事。2000年スウェーデン国立道路交通研究所(VTI)客員研究員。2009年より香川大学にて、人間支援をテーマとする各種機器のインタフェースの最適化に関する研究に従事。趣味は、旧車のレストア、モータースポーツ、銀塩カメラのオーバーホール、写真、スキンダイビングなど。
専門家からの報告
地方私大における人間工学関連研究の実践と学生教育
樹野淳也(近畿大学工学部)
「近大って広島にあるの?」と名刺交換の際に、驚かれることが少なくありません。大学本部は東大阪にありますが、和歌山や奈良、福岡、広島にもキャンパスがあり、私は、広島キャンパスにある工学部機械工学科に奉職しています。ここでは、私の研究・教育の取り組みについて紹介いたします。
私はロボット工学をバックグランドとし、研究活動を行ってきました。ロボットの研究を始めた学生時代、ロボットには鉄腕アトムのような自律型と鉄人28号のような遠隔操作型があると教わりました。当時、私はロボット・マニピュレータの制御やロボット・インタフェースに関して研究を行っていましたが、その後、前任校での研究者生活を経て、現在は、乗り物(Vehicle)を対象とした研究を中心に進めています。具体的には、農業機械については自動化の研究を、自動車については人間工学の研究を実施しています。このことは、前述したロボットの分類に則っているとも言えます。
学生時代に研究題材とした双腕マニピュレータ
近年、トラクタの自動走行に代表されるようにスマート農業に関する研究開発が盛んになっていますが、農業は自動化する恩恵が大きいものと考えています。例えば、環境保全型農業の実践は、生産者にとっては大変負荷の大きい作業です。しかし、疲れず、文句を言わず、長時間働くことができるロボットならば、それらの作業実践のハードルを低くする可能性があります。農業は他の産業とは異なり時定数が大きいことから、本来ならば高速での移動や大型機械による一斉処理は必要でありません。人間が作業するからこそ、高速・大型といった効率を追い求めてしまいますが、小さい機械でゆっくりと作業ができるはずです。このような観点から、ロボットによる新しい農業の形を模索するとともに、ロボットの開発を行ってきました。
東京農業大学奉職中に開発した農作業ロボット
一方、自動車の自動運転の研究開発も盛んに行われています。正直なところ、私は車の運転が好きなので、「私の楽しみを奪わないでくれ」というのが本音ですが、世の流れには逆らえないと考えつつあります。さて、自動車の自動運転と他の乗り物の自動運転の決定的な違いは、乗員の有無だと思われます。運転席を持たないロボット・トラクタが開発されているように、自動化は無人化を意味します。しかし、自動車の目的は人の移動のため、運転を自動化したとしても、乗員は車内に存在することになります。このようなことから、自動車における人間工学領域の研究は今後も必要になると考え、乗り心地のような快適性や安全なHMIなどに焦点を当て、研究を行っています。特に、自動運転車については、ロボットならではの特性を活かして乗り心地を改善できる別の手法があると考え、研究を進めています。
近畿大学次世代基盤技術研究所(広島キャンパス)に導入したドライビング・シミュレータ
これらの研究は、基本的には学部4年生と一緒に実施しています。例年、10名程度の4年生が卒業研究のため研究室に入ってきますが、地方の私立大学ということもあり大学院への進学率が高くなく、ほとんどの4年生が学部卒で就職していきます。例えれば、弊社(研究室)は社長(私)を除くと入社1年目の社員(4年生)で構成され、その社員は必ず4月に全員入れ替わるという、研究を進捗させ成果を残すには少し過酷な職場かもしれません。しかし、大学人にとっての使命は、研究成果をあげるだけでなく、人材を育成することと認識しています。研究室の卒業生は、キャンパスが広島県にあるという地理的事情から、自動車関連産業へ就職するものが少なくありません。それらの産業へ巣立っていった卒業生から、研究室で経験したことが役に立っていると耳にすると、この上ない満足感がもたらされます。今後も、産業界で役に立つ人材を輩出できるよう、研究教育に取り組む所存ですので、ご支援賜れますと幸甚に存じます。
研究室の学生たちと沖縄旅行にて
(2019年9月,著者は中央黄色)
執筆者自己紹介
樹野淳也:近畿大学工学部機械工学科教授。博士(工学)。1971年広島県生まれ。1995年法政大学大学院工学研究科修士課程修了。1996年東京農業大学農学部助手、地域環境科学部生産環境工学科助手、講師を経て、2006年より近畿大学工学部機械工学科講師、准教授。2018年より現職。この間、2013年9月から2014年8月までカーネギーメロン大学ロボティクス研究所にて客員研究員。2018年認定人間工学専門家資格取得。趣味はドライブ、スポーツ観戦。最近、ゴルフを始めました。
専門家からの報告
一人ひとりの使いやすさに向けて
山崎友賀(三菱電機デザイン研究所)
私は「人」が好きです。
私が人間工学という学問を意識したのは、製品のユーザビリティ評価の仕事に従事するようになってからです。工業デザイナーとしてハードのデザインとインタフェースのデザインに携わったのちのユーザビリティ評価は、私にとって純粋に興味の赴く先にありました。それから幾年月、ユニバーサルデザインも担当し、ものづくりに対する視点が広がりました。
視点を広げてくれた立役者は、多様なユーザーです。少子高齢化を受けてプロユースの現場でも高齢の作業者が増えるなど、近年、あらゆる分野でユーザーの多様化が進んでいます。三菱電機の扱う製品は家電、公共製品、情報通信、工場機器、設備など様々な分野に及び、製品やサービスごとにユーザーも多岐にわたります。私は炊飯器から重電プラントや防衛システムまで多くのユーザーに触れた経験を通じて、ものづくりは分野を超えて人という根幹を同じくしているのだということを改めて感じました。
理想的なデザインを追求する。技術を具現化した機能を提供する。そのために規格を定める。これらは人を見ること、人に興味を持つことで初めて形になります。その形になりかけたものを、人間工学を使って万人が分かるように説明することができる。昨年の認定人間工学専門家の資格取得は、図らずも自分が今まで携わってきたものを見つめなおす機会になりました。
人間工学の考え方や知識を啓蒙・普及させる一環として、現在、社内でユニバーサルデザインの研修を実施しています。受講者は立場も年齢も経験も様々ですが、講座内容への接し方や理解度を見ていると、人への興味は、人間工学を活用する上での重要な要素だと感じます。
「より多くの人が使いやすいものづくり・生活しやすい環境づくり」のために。これは当社ユニバーサルデザインの理念です。製品を使う人は、使う状況も目的も、使う人自身も様々です。ある展示会で、視覚障害の方が当社の炊飯器を触ってこうおっしゃいました。「これなら、やりたかったことができる」その炊飯器はユーザビリティ評価者、デザイナーや技術者が、当事者に話を聞き、ユーザビリティ評価を繰り返して開発されたものです。当社製品が人への興味を持って作られ、たくさんの人の嬉しさにつながるよう、今後も活動を継続します。
執筆者自己紹介
山崎友賀:三菱電機株式会社デザイン研究所ソリューションデザイン部所属。専門はインダストリアルデザイン、ユーザビリティ、ユニバーサルデザイン。絵心を活かして評価結果などの概念をビジュアル化し、開発チーム内の意思疎通にも努めている。
報告
CPEJ検討ワーキンググループの設置について
2019年6月に開かれた日本人間工学会総会に人間工学専門家認定機構(CPEJ)の新たなビジョン(案)が上程され、認められました。
このビジョンの実現に向けた具体的な施策を検討するために、2019年7月に、機構長の諮問機関として、機構長の任命によるワーキンググループが設置されました。ワーキンググループメンバーは全員専門家(有資格者)です(メンバー:易強、井出有紀子、榎原毅、佃五月、鳥居塚崇、福岡曜、藤田祐志、八木佳子、横井元治)。
フェイスtoフェイスの会議とメールなど電子会議を併用して、ビジョン案のブラッシュアップ案や施策の案についてまとめ、機構長および2020年3月の幹事会に報告する予定です。
施策の検討に当たっては、これまでに行ってきた活動などについて、会員の皆様にご意見を尋ねるアンケートも計画していますので、回答のお願いが届きましたらぜひご協力ください。
(ワーキンググループ専任幹事 八木佳子)
●専門家の新規登録(50 音順、敬称略)
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【認定人間工学専門家】
(11月1日認定)清水隆彦、山田幸子、吉田智幸 -
【認定人間工学準専門家】
(8月1日認定)石原佑真、上田真知香、城戸千晶、鈴木真里、髙村明秀、三浦才輝、山本あゆ美
(10月1日認定)荒井良太、春日瑛、古賀弘子、小木戸芙美果、佐藤潜一、南條頌貴、藤本茉子、藤原大智、宮原咲貴、森田祥一郎、山本ひかる -
【認定人間工学アシスタント】
(10月1日認定)籠野沙和
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