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ピックアップ がんばる人間工学家!

インタビュー企画 ピックアップ がんばる人間工学家

第8回
中川千鶴さん
(公財)鉄道総合技術研究所

人間工学ともゆかりの深い鉄道総合技術研究所は、脱線対策などの安全面、エネルギー利用の効率化、メンテンスの低コスト化などの鉄道が抱える課題に、あらゆる分野の技術で取り組んでいる研究所です。今回は、乗り心地や、運転士のヒューマンエラーといった鉄道と人が深く関わった研究部門である、人間科学研究部の中川千鶴さんを学生ボランティアが訪ね、取材(?)を敢行! お仕事のこと・学生へのメッセージなど、多様なお話を伺いました。

研究所でのお仕事について、教えてください!
釜谷


中川千鶴さん

中川千鶴
(なかがわちづる)
プロフィール
公益財団法人鉄道総合技術研究所 人間科学研究部(人間工学) 主任研究員。
振動が旅客に与える影響や乗り心地評価手法の開発、生理データや行動測定を運転士支援に活用する研究に従事。
二児の母。

鉄道総合技術研究所(以下、鉄道総研)では、研究テーマは、どのようにして決まるのですか?
中川
JR各社からの依頼が主ですが、その他関連事業者からの受託テーマや、自主的に設定したテーマにも取り組んでいます。通常は、車両や軌道などの研究分野ごとですが、状況に応じて様々な分野が連携して取り組むテーマもあります。
釜谷
人間工学の分野では、どのような研究があるのですか?また、中川さん自身のご研究についてお聞かせください。
中川
列車衝突時の乗客の安全に関する研究から輸送障害時の案内放送に関する教育訓練まで、「安全・安心と快適・便利」「鉄道で働く人と鉄道を利用する人」「平常時と異常時」などの枠組みで多種多様な研究があります。
私は主に、振動乗り心地の評価指標の研究をしてきました。様々な周波数の振動に対する人間の許容値を振動台による実験でデータを積み上げて国鉄時代からの評価指標の改良を提案し、実車両による走行試験で有効性を確認しました。このように、振動台やシミュレータで100人近い実験室実験で基礎を固め、最後は実場面で妥当性・実用性を確認します。人間科学研究部だけではなく、車両など異なる分野の研究者と協力することもとても多いです。


車内快適性シミュレータ


車内快適性シミュレータ

車内快適性シミュレータ

釜谷
車内快適性シミュレータを見学・体験させていただきましたが、車内の振動・車窓風景もすごく精密に再現されていて、実際に列車に乗っているようでした。
中川
車窓風景は200インチスクリーンに投影しています。車両種別や線路構造、音響など各種走行条件を自由に設定できます。鉄道車両内の「快-不快」には、振動・騒音・温度など様々な環境要因が複合的に影響しますので、このシミュレータを使って乗客の「快-不快」と環境要因との関係を心理・生理学的に評価する研究を行っています。
釜谷
最近では、これまでにないコンセプトの豪華列車が話題になっていますよね。このような車両の快適性についても検証しているのですか?
中川
はい。ローカル線を周遊するコースでは、軌道状態が振動の観点でベストとは言えない場合もあり、乗り心地の事前確認に関わらせていただくことがあります。実は、私は以前までは、乗り心地向上を目指し、振動のみに注力していました。でも、これはあくまで快適の一部であり「適」の範囲です。これまでの研究やお客様からの反響を通じ、揺れや振動を許容できる程度に抑えつつ、「列車ならではの旅」を実感し楽しんでいただく重要性を意識するようになりました。「快適」とは何か、心地よさや楽しさに貢献する人間工学とは? そんなことを考えています。


運転シミュレータ

釜谷
今日は、ほかにも、車内振動騒音シミュレータや運転シミュレータも見学させていただきました。私はシステムデザイン学部の学生なので、心理・生理計測の実験装置は初めてでしたが、列車の安全運行や乗客の快適性向上のために様々な基礎研究がされていることを知り、視野が広がりました。
中川
鉄道総研の運転シミュレータは鉄道運転士のヒューマンエラー防止や負担軽減、効果的な運転支援システムの構築を目指す研究に使われています。
人間工学を学ばれたきっかけやこの仕事に就いた動機


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釜谷
ところでなぜ、人間工学を学ぼうと思われたのですか?
中川
私は大学で、生体医工学を学んだのですが、ずっと人に対し工学的にアプローチすることに興味がありました。
釜谷
では、鉄道総研に入ったきっかけは何だったのでしょうか?
中川
就職活動では、研究職希望でここに決まったのですが、就職するまで実は鉄道に関して何も知りませんでした。ただ、就職先として考えたとき、鉄道は、路盤やトンネルなどの土木系から車両のような機械系、通信、電気、防災に駅設備まで、なんでもありの非常に巨大なシステムです。このスケールの大きさ、平和的でガッチリした「モノ」に関わるのは面白いかも!と思ったことがきっかけです。今考えると、あまり深く考えずに飛び込んだ気がします(笑)。
人間工学と仕事との関わり

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釜谷
大学で学んできたことが直接的に社会で活かせることは少ないと一般的に言われますが、実際に活きた経験はありますか?
中川
あります。大学で学んできた知識そのままというより、大学で学んだ「取り組む姿勢や発想の仕方」が、とても活きています。私の大学の研究室では、学部生は定電圧電源を自作するのが慣例でした。私の装置はハンダ付けが下手でうまく動作せず、うんざりしながらテスターを使った不良箇所探しに何日も費やしました(笑)。鉄道総研に入所してからすぐ、人が乗るような大きな振動台が動かなくなり、メーカーが遠くてすぐ来てもらえず、ドキドキしながら図面に沿って順にテスターで調べてみたのです。そして断線箇所をつきとめたとき、大学時代の経験の意義にハッとしました。とても嬉しかったし、その後の自信につながりました。人間工学に限らず、答えを導くにはどのルートが最善かとか、今あるもの、できることをいかにアレンジし活用するか、といった発想が必要だと思います。その点で大学時代に、実験装置を作るところから自分の研究を一貫して構築するよう指導されたことが、今活きていると感じています。
釜谷
人間工学に関わった仕事に従事する魅力、やりがいは何ですか?
中川
最先端ではないかもしれませんが、基礎研究と実用の両輪を強く意識しながら、領域横断的に道なき道に挑戦する面白みを感じています。軌道と車両など異なる工学分野を、「人の感性」という観点で仲介し、乗り心地など最終的にお客様の快適性向上に貢献することは、まさに人間工学の本分だと感じています。
釜谷
そのような場合、人間工学はどのような役割を担うのでしょうか?
中川
例えば、どんなに良い評価法でも活用されなければ意味がありません。そこで、乗り心地の評価結果と軌道情報や車両振動を全て一括表示するシステムを開発しました。評価法って、それだけでは、点数をつけるだけの煙たい存在、「だから何?」と現場の人には思われがちです。ただでさえ忙しい業務の中に、新しいものを受け入れてもらうには、相当「いいね!」という実感が必要です。それで、自分の専門以外の分野の情報を簡単に「みえる化」し、評価結果と合わせて表示することで、「直感的・統合的・俯瞰的な理解を助ける表示」を意識しました。このシステムを使うことで、現場の人にも乗り心地に関する人間工学的な感覚が伝わればと思っています。
仕事の関わり方の変化について

釜谷
お仕事で長いキャリアを積まれていますが、昔と今で考え方に変化はありましたか?
中川
出産育児の影響で考え方は大きく変わりました。育児休暇から復帰した直後は、仕事についていけず、研究職はもう無理と思い詰めました。でも、ちょうどその頃、日本人間工学会の奨励賞をいただいたことがきっかけで、研究者としてもう少しがんばってみようと思いとどまりました。人間工学の知識のある「お母さん」はそんなにいないですし、私だからこそやるべきこと・やれることがあるのでは、と思いました。実際に子供と一緒に行動して、初めて気づいたこともたくさんあったのです。例えば、ベビーカーでの移動がいかに大変か、何がバリアになるのか、など、頭ではわかっていたつもりのことが、当事者としての困惑を伴った生身の感覚として実体験できました。また、北欧にベビーカーを押しながらバリアフリー調査に行ったときは「心のバリアフリー」のありがたさ、心地よさに気づかされました。
釜谷
「心のバリアフリー」とは一体どういうことでしょう?
中川
北欧は乗降口にステップがあるバスが多いのですが、乗る際にベビーカーを周囲の人が当然のように運び上げてくれるんです。社会に「心のバリアフリー」が根付いていると感じました。今後、人間工学はモノだけではなく、社会のあるべき姿に対する効用や影響、こどもの育成、社会の意識醸成の面も視野に入れるべきではと思っています。
人間工学と日常生活との関わりについて
釜谷
生活していて人間工学を身近に感じることはありますか?
中川
生活の様々な場面で、人間工学的な問題意識をもって工夫や評価をしている気がします。
釜谷
中川さんはどのような研究者でありたいですか?
中川
ユーザー当事者の感覚に対し、無知である自分を意識するようにしています。研究室の机に座っているだけでなく、現場やユーザーの懐に飛び込んで教えを乞う研究者でありたいですね。運転士対象の研究も、「寄り添う支援システム」を目指しています。私たちは労働現場では、ユーザーの代弁者という役割も担います。たとえ無名のままでも、誰かをほんの少しハッピーにする、そんな縁の下の力持ちのような仕事ができたら恰好良いなと思っています。
学生へメッセージ


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釜谷
最後に、今の学生に対してメッセージをいただけますか?
中川
ちょっと無理かなと思うことに、あえてチャレンジしてほしいですね。松下幸之助さんが「失敗を失敗で終わらせてしまうから失敗になる。失敗してもやり続けて成功にすればそれは失敗ではない。」と言っていますが、私もその通りだと思います。失敗していいんです。この年で思うに、若いときの失敗は、痛手より学びの方がはるかに大きい。上手くいかず失敗し、落ち込んで、それでも粘って粘って、もはやこれまでか、と思った先に、意外な扉が開くものなのです。この瞬間が「くせになる」楽しさです。ぜひ体感してほしいし、きっとその先に、成長した自分がいると思います。
釜谷
とても励みになるメッセージです!本日は、お忙しい中貴重なお時間をいただきありがとうございました。

釜谷理沙

インタビュアー:釜谷理沙(かまやりさ)
首都大学東京システムデザイン学部に所属。人間工学とデザインに興味を持ち、製品・サービス研究室で、様々な視点で人にとって使いやすいデザインを学んでいる。

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インタビューサポート:松田文子(まつだふみこ)
公益財団法人 労働科学研究所特別研究員、JES広報副委員長。日本人間工学会認定人間工学専門家。フィールド研究の枠組みを超えて、作業着で現場と一緒に汗をかくのが好き。研究の傍ら大学や専門学校で人間工学、安全工学などの講義を担当。

【取材協力】:安部由布子さん((公財)鉄道総合技術研究所 総務部 広報)
【写真】:榎原毅(JES広報委員会)

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